最盛期のわずか9分の1に!? ウェブ評判管理からみるレーシック盛衰記

近視をはじめとした目の屈折異常に悩む人にとって、メガネやコンタクトなしの生活を実現する夢の技術として一躍人気となったレーシック手術
松坂大輔選手や堀江貴文さんをはじめ、多くのスポーツ選手や著名人が受けたことで注目を集め、最盛期の2008年には45万件もの手術件数を誇りました。

しかし2014年には5万件と、最盛期のわずか9分の1まで落ち込んでいることが報道され、その衰退ぶりが話題を呼んだのは記憶に新しいところです。
レーシック手術は、なぜこれほどまでに衰退してしまったのでしょうか。
本稿では、ウェブの評判管理の視点から、レーシック手術の盛衰についてみていきたいと思います。

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レーシックの興隆とアフィリエイト

レーシックとは、目の表面の角膜にレーザーを照射し、角膜の曲率を変えることで視力を矯正する手術を指します。レーザーで角膜を削ることで近視や遠視はもちろん、乱視も治療できるとされ、手術時間わずか15分ほどで終わる手軽さも手伝って、2000年代半ばごろから急速に普及しました。
日本眼科医会発表の資料によると、2000年にはわずか2万件ほどだった手術件数が、06年には12万件、07年22.5万件、08年には45万件と急激な成長曲線を描きます。
レーシック手術の症例数
※ 引用:公益社団法人日本眼科医会第4回記者懇談会 屈折矯正手術の現状(http://www.gankaikai.or.jp/press/20160616_3.pdf)

自由診療で高い収益性が見込めることなどから、2000年代初頭には全国展開のレーシック専門クリニックが次々と誕生し、多額の広告費を使って芸能人を囲い込み、熾烈な顧客獲得競争を演じてきました。そもそも日本の近視者は推定5000万人いると言われており、それまでメガネやコンタクトレンズの独擅場だった近視市場に殴り込みをかけたわけです。

最盛期45万件の手術件数のうち、過半にあたる20万件が大手3院での手術で占められていたともいわれており、これらの全国規模のクリニックが多額の広告費をかけてウェブ広告、SEO対策を徹底的に行った結果、当時のウェブ検索ではレーシック手術のメリットや手軽さを謳うアフィリエイト広告ばかりが目に付く有様で、そのリスクや危険性についてはほとんど顧みられることがない状態となりつつありました。

院内感染事件、そしてデマゴーグの余波

そんな矢先、レーシック好調に水を差す集団感染事件が起こります。2009年のことでした。
ずさんな衛生管理のもと、破格の値段で手術を繰り返していた銀座のクリニックで、数十人規模の集団感染が確認されたのです。推定100人を超える被害者が感染性角膜炎を発症、不正乱視や角膜混濁などの後遺症を残したと言われています。
その後、被害者による集団訴訟が起こされ、担当医に実刑判決が下ったこの事件はマスコミに多く報道され、それまで顧みられることのなかったレーシック手術のリスクと危険性にはじめて、そして徹底的に光が当てられたのでした。

この事件を皮切りにレーシックの手術件数は減少の一途をたどります。2009年からの4年間は30万件前後をなんとか維持したものの、13年に10万件、14年には5万件と一気に減少、レーシックブームはわずか数年間で急速に収束していったのです。
もちろん、レーシックが衰退した要因はこの集団感染事件だけではありません。
レーシック衰退を語るうえでもうひとつの事件、ある有名人をめぐるデマゴーグの存在を避けて通ることはできないでしょう。ツイッターやまとめサイトを通じてデマは拡散を続け、のちに当人が公に否定するまで、それはあたかも真実であるかのように多くのサイトにとり上げられていきました。ネットを通じて拡散した不確定情報によってレーシックの評判は大きく損なわれ、結果として急激な衰退を余儀なくされたのです。

そのデマは次のようなものでした。

サッカーの本田圭佑選手が受けたレーシック手術が失敗し、角膜に致命的な損傷を受け視力を落とした結果、選手能力が大きく損なわれてしまったというのです。

メガネ、コンタクト業界との攻防の歴史

実際、本田選手は2012年ごろに新宿のクリニックでレーシックを受けたと後に認めています。
そしてその前後に調子を崩し、所属するCSKAモスクワでベンチに回ることが多くなるなどプレーに精彩を欠き始めたのも事実でした。また、この時期にテレビ出演した際、眼球の突出具合や表情があまりに不自然だとして(バセドウ病が原因なのではないかと言われていますが、本人は否定も肯定もしていないため、いまもって当人以外にその原因はわかりません)その画像が多く出回ったことなどもあって、本田=レーシック後遺症説は説得力を持って拡散していったのです。

のちに週刊ダイヤモンドのインタビューで本田選手自らレーシック後遺症を否定、手術自体は成功して今も視力は1.5を維持していることを認めました。それにより本田選手がレーシックに失敗したというデマは徐々に終息していったものの、そのころにはすでにレーシックの評判は地に堕ち、手術件数は大きく落ち込んだあとでした。一度沁みついたネガティブなイメージは容易に払拭できず、その後もレーシックの評判は回復することはなく今に至っているのです。

先ほど、レーシックが爆発的に普及する過程で、大手のクリニックが莫大な広告費を投入し、アフィリエイト広告で検索結果をポジティブな結果で埋め尽くしていたと書きました。
その際、一部のアフィリエイトや比較メディアによって、メガネやコンタクトのリスクやデメリットを誇張し、過度に貶める表現が散見されました。これらは競合サービスのネガティブキャンペーンとしてよく見られる手法で、例えばコンタクトレンズによる感染症のリスクやメガネが割れることによる失明のリスクをことさら強調することにより、相対的にレーシックの価値を高め、ユーザーをレーシック手術に誘導する手法でした。
このあたりからウェブ広告の領域で、レーシック業界VSメガネ&コンタクト業界の熾烈な戦いが静かに、そして露骨に行われるようになっていきました。そうなるとどちらが優勢かは火を見るより明らかで、市場規模や広告費で圧倒的に体力がある方が勝つのが世の常なのです。

本田圭佑選手がレーシック後遺症であったというデマが、自然発生的なものだったのか、対立陣営のネガティブキャンペーンの一環だったのかは、いまとなってはわかりません。
ただ一つ確かなのは、結果としてこのデマが決定打となり、レーシックの評判は地に堕ち、急激な衰退は避けられなくなったということなのです。

適切な評判管理のために

レーシック手術が多額の広告費を引っ提げて登場し、大きく市場を寡占したのち、院内感染事件やデマゴーグによって評判を著しく落とし、最盛期のわずか9分の1まで市場を縮小させるに至った一連の流れを見てきました。
レーシックの栄華盛衰に教訓を見出すとすれば、競合サービスを露骨に貶めるようなネガティブキャンペーンは、いずれ数倍にもなってその身に返ってくるということ、ウェブ上のネガティブなデマを放置していれば瞬く間に評判は傷つき、一度損なわれたブランド価値は容易に回復することはないということでしょう。

適切な評判管理とブランディングのために何が必要か、その答えは簡単ではありません。しかしながら、これまで本カレッジの一連のコラムを読んでこられた賢明な諸氏であれば、自ずとその答えは見いだせるのではないでしょうか。
本記事が教訓となり、読者諸氏がブランディングについて考える一助となれば幸いです。

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